モディリアーニにお願い
わたしは京都にある芸大に通っている。
絵は描けない。
大学院に進学したので、今の大学に通って5年も経つ。
そしてもうすぐ、卒業式が行われる。
私のじゃない。後輩の、だ。
後輩とは私が2年生の時に、当時所属していた学内インターンに参加してきたことで知り合った。
そこから4年。色んなことがあった。
お互いに。
私が知らないことだってたくさん、たくさんあるだろう。
それでも全部ちゃんと抱えて卒業していく彼女にどうか幸せな社会人生活が訪れますように、と願わずにはいられない。
私がポンコツなせいもあるが、彼女は私なんかより100倍周囲のことが見えて仕事ができる。
コミュニケーション能力もある。
彼女がいてくれたことで救われる気持ちになったことだってある。
だから絶対に、大丈夫。
不安も大変なこともあるかもしれないけど、大丈夫。
無責任かもしれないけど、そう思う。
全然先輩らしいことなんでできなかったけど、彼女と知り合えてよかった。
しかし、後輩が卒業してしまうことが思っていたより寂しく、ちょうど学部の時の友達と連絡を取っていたので色々と考えてしまった。
私は今の大学が割と好きだ。そうじゃなきゃわざわざ進学なんてしない。
(とはいえ嫌いな部分もたっっくさんある。ふざけるなよちくしょうと見えない大人に何度思ったことか)
でも、もし高校生からやり直せるなら同じ大学、同じ学科に入っただろうか?
と何度か考えたことがある。
昨日もふと頭をよぎった。
高校から画塾に通って、もっと上の学校に通っていたら?
初めからデザインの学科に通っていたら?
たらればはいくつも重なるし、今まではずっと、たらればの方が自分の望む未来になっていたのではないかと思っていた。
でも、たらればの方に進んでいたらきっと、学内インターンなんか入らなかっただろう。
マンデーがあのクラスで、FAとTAがあの人たちじゃなかっただろう。
そしたらやっぱり、出会えなかった人たちがたくさんいる。
その人たちに出会わなかったら、その分別の人たちと出会っていただけかもしれないけれど、そんなの考えられないくらい、この5年間で幸せな人間関係に恵まれたと思う。
私のクソみたいな性格のせいで、傷付けてしまった人もいるかもしれない。
私が傷付いたあの出来事も、たらればの世界にはなかったのかもしれない。
でもやっぱり、あの日々に出会った人たちと出来事は永久保存版の、大事なものだ。
いつか忘れてしまっても、残しておきたい。
ところでタイトルの「モディリアーニにお願い」
についてなんだけど、これは全美大生、芸大生だった人に読んでもらいたいマンガだ。
東北にある小さな芸大が舞台。
(おそらく作者の方は姉妹校出身っぽく、余計に応援したくなる)
最近2巻を買った。
美大生が舞台の「かくかくしかじか」というマンガもとても好きで、
かくかくしかじかはキラキラだけじゃない、自分に負けてつくるのを辞めてしまうところとか、画塾の先生とのやり取りとか、読むと最終的に「もっと頑張らなきゃ…」
と思わせてくれる。
それに対してモディリアーニにお願いに出てくる登場人物たちはみんなひたむきに制作と向き合っている。
つくることから逃げない。
そしてその「つくる」に向き合えていた時間と、それを受け入れてくれる人々が周囲にいた時間がどれだけ幸せなことだったのかを気付かせてくれる。
学部生の頃のあれこれを思い出していた。
美大生特有の繊細な心の揺れが、心に刺さる。
1巻を買った頃にはわからなかった感情が、今読むとぐるぐる巡る。
もし将来、
好きを好きでいられなくなったら?
好きを好きと言えなくなったら?
生活は大事。
好きなことも大事。
どっちも無くさずに生きていけたらいいのにな、と思う。
でも、ちょっと離れてしまっても、本当に自分にとって大切なことだったらきっと自分にかえってくると信じたい。
つくれなくなったら終わりじゃない。
好きを好きでいられなくなっても終わりじゃない。
大丈夫。