日々は続く
先週、祖父を見送りました。91歳でした。
生前、元気だった頃の祖父は気性が荒くてあまり仲が良いとは言えなくて、母から危篤との知らせを受けた時もいつ実家に帰るか迷った。危篤とはいえしばらく安定した状態を保てる人もいる。寿命は誰にもわからない。
だから帰るの、もう少し先でいいか、と思っていた矢先だった。
もう明日の朝が山みたいですと入った母のLINEを見て、なぜか涙が出た。
帰るか迷っている、と相談した人にそのことを伝えると、血の繋がりってそういうものだよ、と言われた。そうなのか。
慌てて帰って、運良く最後の瞬間に立ち会えた。待っててくれたみたいなタイミングだった。
穏やかそうな眠るような顔は別人みたいだなと思った。やっぱり涙が出た。
「仲が良かったの?」と聞かれたりするけど、最期の瞬間を見てしまうと、仲がいいとか悪いとか、どうでもよくなって、
次はもっと仲良くしようねと泣いていた母も、最期の時にずっと手を握っていた祖母も、たぶん忘れられない。
こうして文字にしているだけなのになぜか涙が出てくる。
仲が良かったとか良くなかったとか、もうそういう次元ではなくなってしまっていて、生きとし生けるものすべて生まれた時から死に向かっていて、それだけは誰も避けられなくて、不思議だよなあと思う。
しかも子どもも親もお互いにお互いを選べない。
嫌だなあと思うこともたくさんあったし、お互いにお互いのことが分かり合えない親子な気がするけど、でももしまた次の人生があるなら、また父と母の子どもで、姉と兄の妹でいたい。祖父母も。
でも死ぬのは怖いし、両親や兄弟をいつか見送るのも怖い。もっともっと先であってほしい。
実家にいた5日間が夢なのかなと思えたし、実家にいる間は京都の日々が夢なのかなと思った。
少しずつまた日常に戻る。
そして、戻してくれる人がいることがありがたかった。
いつまでも明日があると思っちゃいけないけど、会いたい人に会える日々が日常であることがどうか長く続きますように。