モディリアーニにお願い

わたしは京都にある芸大に通っている。

絵は描けない。

 

大学院に進学したので、今の大学に通って5年も経つ。

 

そしてもうすぐ、卒業式が行われる。

私のじゃない。後輩の、だ。

 

後輩とは私が2年生の時に、当時所属していた学内インターンに参加してきたことで知り合った。

 

そこから4年。色んなことがあった。

お互いに。

 

私が知らないことだってたくさん、たくさんあるだろう。

 

それでも全部ちゃんと抱えて卒業していく彼女にどうか幸せな社会人生活が訪れますように、と願わずにはいられない。

 

私がポンコツなせいもあるが、彼女は私なんかより100倍周囲のことが見えて仕事ができる。

コミュニケーション能力もある。

 

彼女がいてくれたことで救われる気持ちになったことだってある。

 

だから絶対に、大丈夫。

不安も大変なこともあるかもしれないけど、大丈夫。

無責任かもしれないけど、そう思う。

 

全然先輩らしいことなんでできなかったけど、彼女と知り合えてよかった。

 

しかし、後輩が卒業してしまうことが思っていたより寂しく、ちょうど学部の時の友達と連絡を取っていたので色々と考えてしまった。

 

 

私は今の大学が割と好きだ。そうじゃなきゃわざわざ進学なんてしない。

(とはいえ嫌いな部分もたっっくさんある。ふざけるなよちくしょうと見えない大人に何度思ったことか)

 

でも、もし高校生からやり直せるなら同じ大学、同じ学科に入っただろうか?

と何度か考えたことがある。

昨日もふと頭をよぎった。

 

高校から画塾に通って、もっと上の学校に通っていたら?

初めからデザインの学科に通っていたら?

 

たらればはいくつも重なるし、今まではずっと、たらればの方が自分の望む未来になっていたのではないかと思っていた。

 

でも、たらればの方に進んでいたらきっと、学内インターンなんか入らなかっただろう。

マンデーがあのクラスで、FAとTAがあの人たちじゃなかっただろう。

そしたらやっぱり、出会えなかった人たちがたくさんいる。

 

その人たちに出会わなかったら、その分別の人たちと出会っていただけかもしれないけれど、そんなの考えられないくらい、この5年間で幸せな人間関係に恵まれたと思う。

 

私のクソみたいな性格のせいで、傷付けてしまった人もいるかもしれない。

私が傷付いたあの出来事も、たらればの世界にはなかったのかもしれない。

 

でもやっぱり、あの日々に出会った人たちと出来事は永久保存版の、大事なものだ。

いつか忘れてしまっても、残しておきたい。

 

ところでタイトルの「モディリアーニにお願い」

についてなんだけど、これは全美大生、芸大生だった人に読んでもらいたいマンガだ。

東北にある小さな芸大が舞台。

(おそらく作者の方は姉妹校出身っぽく、余計に応援したくなる)

最近2巻を買った。

 

美大生が舞台の「かくかくしかじか」というマンガもとても好きで、

かくかくしかじかはキラキラだけじゃない、自分に負けてつくるのを辞めてしまうところとか、画塾の先生とのやり取りとか、読むと最終的に「もっと頑張らなきゃ…」

と思わせてくれる。

 

それに対してモディリアーニにお願いに出てくる登場人物たちはみんなひたむきに制作と向き合っている。

つくることから逃げない。

 

そしてその「つくる」に向き合えていた時間と、それを受け入れてくれる人々が周囲にいた時間がどれだけ幸せなことだったのかを気付かせてくれる。

学部生の頃のあれこれを思い出していた。

美大生特有の繊細な心の揺れが、心に刺さる。

 

1巻を買った頃にはわからなかった感情が、今読むとぐるぐる巡る。

 

もし将来、

好きを好きでいられなくなったら?

好きを好きと言えなくなったら?

 

生活は大事。

好きなことも大事。

 

どっちも無くさずに生きていけたらいいのにな、と思う。

 

でも、ちょっと離れてしまっても、本当に自分にとって大切なことだったらきっと自分にかえってくると信じたい。

 

 

つくれなくなったら終わりじゃない。

好きを好きでいられなくなっても終わりじゃない。

 

大丈夫。

 

 

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ちいさいいきもの

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私の実家では犬を飼っている。

私が大学3年生の時に飼い始めた。

 

その子は母の知り合いが飼っていた犬で、引っ越しにより飼えなくなったところを引き取ったらしい。

 

私は犬が苦手だ。

幼稚園生の頃、追いかけ回された挙句にお尻を噛みつかれるという恐ろしい出来事によって、見るのは好きでも近づけなくなってしまったのだ。

 

私が大学進学を機に実家を出た後、家にいる両親が心配だった。

 

2人で会話はあるのだろうか、ちゃんとやっていけるのだろうか。

 

心配しているのは両親も同じだろうが、時々家にいる両親を思い出してはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ心が痛んだ。

 

ペットでも飼えばいいんだけどなあ。

と思うようになったのはいつだったか。

 

何度か両親に言ったことがあったが、いきものを飼うというハードルは高い。

 

 

入学してから3年が過ぎようとしたある日、母から「家族が増えました」という文章と共に写真が届いた。

白くてふわふわしたかわいい犬だった。

 

 

驚いた。本当に驚いた。

犬が我が家にやってきて初めて私が実家に帰った日、お前は誰だと言わんばかりに吠えられた。

犬がいるリビングに入れず、ドアの隙間からジャーキーをあげながら不審者ではないことを伝えた。

 

我が家にやってきた犬は、前の飼い主がしっかりしつけていたので人間を噛むことはないし、とても人懐っこい。

吠えているのは威嚇ではなく遊んでくれという合図だった。

 

かわいい。

白くてちいさくてふわふわしたこのいきものが、とてもかわいい。

 

お手と言っても気が向かないとやらない上に、差し出した手に頭を載せて寝始めるような気まぐれっぷりだがかわいい。

両親もとても可愛がっていて、嬉しそうに遊んでいる。

 

犬がやってきて何度目かの実家の帰省の日、犬と2人きりになった。

もう吠えられても怖くないし、2人で遊ぶのにも慣れた。

というか、犬に会いたくて実家に帰っている側面がある。

 

そんなかわいい犬を撫でながら、

「うちに来てくれてありがとう」

と気付いたら言葉にしていた。

 

犬に言葉が通じるわけもないのに、なぜか口走っていた。

 

言葉の雰囲気を察したのか、遊ぼうと言われたと勘違いしたのかわからないが、

犬は私の膝に飛び乗って来た。

 

このちいさいいきものと両親が、すこしでも長く一緒にいられたらいいなと思った。

 

 

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つくりつづけること

きのう、学部の時の友達と飲んだ。その友達と会うのは久しぶりだった。

1年生の時に知り合ったので、もう付き合いが5年になる。


いつだったか、その子が

「絵を描くことは息をすることと同じ」

 なのだと話してくれた。

 


この子はつくる星の元に生まれてきたんだなと思った。

 

大学院に入って知り合った子と2人でいろんな話をしていた時に、同じことを思った。
この子はつくる星の元に生まれてきたんだなあって。

 

 

たぶんどんなに苦しくても、つくることを辞められないのだろう。

 

学部の4年間は、ある意味で楽園だったのだと思う。
つくりたいものを作る。評価される。作りたいものをつくる友達がいる、先生がいる。
でもいつかは社会に出ないといけない。
出た時にどうするのか。

 


社会に出ても、ものをつくって生きていくって、まあ大変だ。


つくるのにもお金がかかる。

場所も必要。物によっては機材もいる。
でもアイデアは湧いてくる。

 


なんでつくるんだろう。
評価のため?売れるため?

 

つくりたいから?

 

 

どれが原動力でも間違いはないし、全部がぐるぐると絡まっているような時だってあるかもしれない。

 

 

つくりつづけてほしいなあと思うのは外野のエゴかもしれないけど、どうかそのまま、つくるものが変わってしまったとしてもつくる側にいて欲しいなあと。


そういうことができる社会だったらいいなあと思った。

「夢の学校」世界文庫アカデミーを卒業しました

このブログはイベントレポート用に開設したものだけど、今日の、そして今年一年間のことは文章で残しておきたいなあと思って。あまり気持ちが整理しきれていないのですが。書いてみようかなあと思います。

 

私は今年一年間「夢の学校」世界文庫アカデミー(セカアカ)に通っていました。

セカアカは様々な夢を持った(もしくは夢を見つけたい)人が集まり、

デザイナー、編集者、アーティストなど様々な職種の先生から、場作りやものづくりに対する考え方などを授業として学ぶ学校です。

 

ちょうど一年くらい前、たまたまFacebookの広告で世界文庫という古本屋と、セカアカのことを知りました。

大学四年生の冬のことです。

その当時の私は、一番信用していた大人に、将来入りたい会社に入れるわけがないと言われ、夢を否定されたと思いひどく落ち込んでいた時期でした。

 

大学三年生の秋にはもっとデザインの勉強がしたいと大学院への進学を決めていた私ですが、四年生の秋に大学院に合格した後、とてもとても、それはもうめちゃくちゃ悩みました。

というか、進学が決まってからの方が悩んだかもしれません。

デザインがめちゃくちゃ好きなのに、才能がびっくりするほどないわと気付いてしまったからです。

でも親にも周りの友達にも相談できず、ひとりで家で泣く日々が続きました。

 

そんなときに見つけたセカアカの広告に載っている講師の方々は、ほんとうにすごい方々で、まさに「夢の学校」でした。

 

どうせ大学院に行くなら、一年かけて学校以外の場でも勉強したい。

ここに通えば将来のこと、もっと前向きに考えることができるかもしれないと入学を決めました。

 

 

私が通っていたDクラスには素敵な大人がたくさんいて、ほんとうに、みんないい人たちで、「ひかるん」って呼んでもらえるのも嬉しかったし、

将来のやりたいこと、制作しているもののこと、今行きたい会社のこと、ずっと背中を押してくれて、

そんな人たちに出会えてとってもとっても幸せでした。

同世代の人たちの活動にも刺激をもらって、活動の様子を見るだけでワクワクしたし、みんなのつくるもの、表現するものだいすきです。ただのファンです。

いつか一緒に仕事がしたいね。そう言われて嬉しかったし、仕事頼めるように頑張るね。

 

みんなマイペースで、ゆるくて、行けばホッとするDクラスでした。

 

そして今日、いつもと変わらない気持ちで行ったのに、びっくりするくらい気付いたら泣いていて。

(どこでスイッチ入ったんだっていう、妙な流れで泣いてしまった)

 

一年前、入りたい会社に入れるわけがないとある人に言われたとき、その人の言葉の圧のあまりの怖さに泣いてしまった私に、

「泣けば済むと思っているんだろ」と言われてから人前では泣かなかったのですが(正確にはセカアカでちょろっと涙ぐんだことはあるんだけど、それまでが嬉しくても悲しくてもボロボロ泣く、泣き上戸だったのです)

だいすきなクラスメイトと話していると、この一年間でもらった言葉を思い出して、もうどしようもなく泣いてしまいました。

(もう一人だいすきなねーさんがいるのですが、体調不良で会えず残念です。。)

 

 

セカアカに入って、マイナスがゼロになりました。

そんなイメージの一年間でした。

 

学部生のころデザイン科の後輩に名刺を作ってもらったことがあったのですが、そのときに

「ひかるさんは太陽のイメージだったので」

と太陽をモチーフに作ってくれました。

たぶん、よく笑うタイプの人間なのでそう作ってくれたのだと思います。

なぜか最近そのことを思い出したんだけど、しばらく続いたうまく笑えない時期から、脱出できたからかなあと思います。

最近よく笑えます。

 

 

そしていま、また別のスタートラインにいます。

ゼロから今度はプラスに進んでいきます。

来年一年間がどうなるのかとても楽しみです。

 

 

来週からもう授業がないのはさみしいけど、みんなのイベントやお店に行くのを楽しみにしています。

 

Dクラスでよかった。

 

何年経っても、何やってても、みんな元気でまた会いましょう。

 

 

芸大に通っているくせに、絵もデザインもできないけど、才能がない自分に負けたくないと思った話

耳の奥の方で、じーわじーわと耳鳴りがする。

ぐるぐると頭をめぐる言葉たちを思い出しながら、泣きそうだった。

本を読んで、こんな気持ちになったのは初めてだった。

 

私には、師匠と(勝手に)呼んでいる人がいる。

大学一年生の頃に出会ったその人は、私が通う大学で一年生が必ず受けなくてはいけない、ものづくりの基礎を学ぶ授業の担任だった。

デザイナーである先生に、技術というよりものづくりの考え方の面で本当に色々なことを教わった。

先生の授業アシスタントを務めたこともあった。

だけど、四年生も後半に差し掛かったとある日を境にどうしても、会えなくなった。

私はとある芸大で、デザインの研究をしている。しかしデザインはできない。

学部生だったころは芸大生にしては珍しくデザインとも、ものづくりとも無関係の学科で勉強をしていた。だからこそ他者に何かを伝える時にデザインがいかに重要であるかを知った。

 

大学三年生の後期に入ると、もっとデザインを勉強したい、という思いが強くなり、親を説得して大学院への進学を希望するようになった。

 

だけど。

とあることで挫折を覚えた私は、あっという間に自尊心を粉々に打ち砕かれた。

やっぱり、デザインの基礎を学んでいない自分が、四年間デザインやってきたやつに、かなうわけないんだ。

芸大にいれば、悲しいことに才能がある人がいることを、まざまざと知ることになる。

 

才能がある、というのはなにも生まれながらに美的感覚が優れている、とかそういったことだけではない。

本当に才能があるやつは、描くのを、作るのを、やめられない人間のことなのだ。

 

知っている。

さらりと、息をするようにデザインしている子が、どれだけ作品を作ってきたのかを。

どれだけたくさんリサーチをして、インプットを行っていたのかを。

でも、だからこそ辛かった。だって、デザインするのが、なにかを作るのが、辛くて辛くて仕方がなかったから。

 

インプットの量とアウトプットの量が一定数を越えないと、何事も上達しないことはわかっているつもりだった。

でも、作るもの作るもの全てに対して「これはゴミを作っているだけなのでは?」

という思いがぬぐい捨てられなかった。

 

なにを作っても致命的にダサい。

 

なのに見る目だけは少しずつ肥えてゆき、完成させられないままの作品が増えていった。

そしてとうとう、パソコンに入っているデザインのソフトも開かなくなった。

四年生も後期に入り、友人たちが内定を取っていく中、先の見えない不安に駆られていた。

就職活動をほとんどしていない後ろめたさもあり、家に引きこもる日も増えた。

 

なんとか大学院の受験に合格したものの、

今更自分がデザインの道に入ったって、周りの人たちに勝てるわけがない。

自分には才能がない。

奨学金という名の借金を背負ってまで、何者かになれるかもわからない道に進む意味があるのか?

やっぱり就職したほうがいいんじゃないか?

 

そんなことを毎日考えては泣いていた。

やりたいことをやればいいと、応援してくれる親にこんなことは相談できなかった。

そんな時だ。師匠に将来のことを相談したのは。

もう将来のことを考えることに疲れ果て、誰かに背中を押して欲しかった。

話を聞いて欲しかった。

しかし、師匠の反応は、思っていたものとは全く異なるものだった。

めちゃくちゃ怒られたのだ。

私が受験した数少ない企業を、甘えた考えで受験するんじゃないと。

お前のスキルで受かるわけがないんだと。

そしてこう続けた。

 

「合格したのになんで今更そんなことを言い出す」

「デザインできないって言うけど、センスっていうのはな、見たものの量で決まるんや。まだまだ見る量も足りてないお前が、なに言ってるんや!」

「あと2年頑張るって、ここで言え!」

 

と、どんどん先生は言葉を続ける。

こんなに語気を荒げてしゃべる師匠に初めて遭遇した私は、動揺で完全に思考が停止し、なにも言えなかった。

そのあと、何度か「あと2年頑張るって、言え!」と言われたのだが、なにを言っても間違いな気がして結局なにも言えなかった。

 

その日は家に帰ってから泣いた。

 

悔しいくやしい。

どうしてあんなことを言われなきゃいけないのか。

この時期はみんな、進路に迷うじゃないか。

どうしてわかってくれないの、

 

という思いと、

作れない自分自身と、今更勉強を始めたって差はどうしようもできないのだと未来を嘆くしかできないことも、自分には才能がないことがわかっていて、なお努力することを放棄するような自分が、悔しくて悔しくて、そして悲しくて仕方がなかった。

 

結局周りと比べる癖が抜けないまま、師匠と疎遠になって卒業した。

大学院に進学してからも、やはり劣等感が抜けることはなかった。

やっぱりデザインなんて無理かもな、なんのために進学したんだろう。

そんなことを思っている時に、梅原真さんという高知県在住のデザイナーの方の「ありえないデザイン」という本を読んだ。

梅原さんは、パッケージなどの平面的なデザインももちろん行うが、地域に埋もれている、その土地ならではの魅力を引き出すことを最大限に考えながらデザインの仕事を行っている。

平面だけ整えるデザインとは明らかに違う、デザイナーだった。

 

そして、じーわじーわと耳鳴りが止まらなくなった。

ばくばくと動悸もする。

師匠は私が挫折を味わったときに言っていた。

 

「今の自分もカタチに残るデザインをしていませんし、それが表現とも思わなくなりました。行為もデザインです」

 

「どうでもいいって、一番駄目な言い方です。はっきり言います。無駄は無い。仮にそう思ったとしても、必ず先の自分には必要な時間だったはず。今の自分に気付けたなら、後は先しかないよ」

 

「自分がつくったものをゴミと呼ぶのは嫌です。つくられたモノに謝るべきです。ふりかえると後悔しか残らないよ」

 

「誰の為につくったの? 自分のためならいいですが。

世の中のディレクターは管理です。全体の把握があるから出来ること。これが一番大事だということも覚えていてください」

 

梅原さんの本と、師匠の言葉がどことなく重なる。

師匠は、いつでも言っていた。視点を変えろと。

作られたものよりも、作る過程の方が大事なのだと。

 

四年間、言葉は違えど何度も耳にした言葉を、なんで忘れていられたんだろう。

薄暗い気持ちにひたすら足をすくわれて、一番大切なことを忘れてしまっていたのだ。

進路の話をした時は、なんてひどいことを言うのだ、と思った。

でも師匠は、私の甘さを見抜いていた。甘っちょろい考えで運良く就職できたとして、うまくいかないか、やはりデザインの勉強をすればよかったと、後悔するのは私なのだ。

 

できないことを数えるより、できることとうまく共存させながらやりたいことをやれればいいのだ。

できないことがあるからって、できること、やれていることまで見ないようにする必要はない。

師匠が言いたかったことは、結局こういうことなのだろうと、今になって気付く。

 

今の私は、デザインができない。

周りには、たくさんできるやつがいる。

でも、だからなんだ。惨めな気持ちにしているのは、他でもない自分なのだ。

今度、師匠とワークショップを開催することになった。

お願いするのにめちゃくちゃ勇気が必要で、祈るように企画書を書いた。

打ち合わせで久しぶりにまともな会話をした。フライヤーも相変わらず文字だけなのにかっこよかった。

やっぱり。やっぱりこの人は私にとって、師匠みたいなもんなんだなあと思う。

スキルを教えてくれるだけの先生とは違う。

この人みたいになりたいと、そう思わせてくれる。

今度は、デザインへの視点を変えながら、作品を作ろう。行為だってデザインなのだ。

そしてどんなにダサくても、作り始めた作品は、最後まで作ろう。

ちゃんとこれが私の作品だと、胸をはろう。

いつか「もうお前の作品で直す所はない」と言われるその日まで。

 

 

……これは、私がインターンに行っていた先の課題で書いた文章なのですが、

インターンが終わってからも、自分で書いた文章のことを思い出すのでここに残しておくことにします。

【イベントレポート】あなたの地元には何がありますか?/ TOKUSHIMA DESIGN WORKSHOP デザインで地元を考える

こんにちは!

8/26に、徳島県小松島市にある082タイムズ舎さんで

TOKUSHIMA DESIGN WORKSHOP デザインで地元を考える

地元を考える会in徳島

が開催されました!ちなみに082タイムズ舎さん初のイベントです㊗️

 

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地元の魅力をデザインの手法から考えるワークショップ。

あなたの地元には何がありますか?
あなたの地元の自慢は?
あなたしか知らない地元の魅力を、地元の人たちと共有したい。

言葉から文字、そして図形化する行為の中から地元をさらに知り、自信を持って発信するきっかけがつくれる場になればと思います。

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今回はデザイナーで「地元を考える会」を主催している丸井栄二さんをファシリテーターとしてお呼びし、

デザインの視点から地元を見つめ直していきます。

 

まずは自己紹介から。

3人1チームになり、チームの中で一番生命線が長い人から好きな食べ物をプレゼン。

 

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最後のひとには「ジャパネット高田風に好きな食べ物を紹介する」という無茶振りが入ります。

でもこれで初対面だった方たちも少し打ち解けたようで。

 

お次は丸井さんが持って来てくださったシートに、参加者のかたそれぞれの地元のいいところ、特産品などを書き込んでいってもらいます。

 

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短い時間の中で思いつく限りの数を書き出していってもらいました。

これで、普段どれだけ地元の事を見れているか、見れていなかったのかがわかったのではないでしょうか。

 

そして、そのシートをもとにゲームを行います。

 

例えば。

今回なんと淡路島から参加してくださった方もいらっしゃったのですが、

淡路島の特産品といえば玉ねぎがあります。

でもこれって、他の地域にはないものなの?他とどう違うの?

ということをディスカッションし、他のところにもあるよね、と思ったものは消していくというもの。

 

今回のチームわけでは、地元が近いひと同士で組んでいただいたので、

「共感ばかりしてしまって戦いにならない!」

という声も出てきましたが笑

このゲームを経て、残ったキーワードからそれぞれのチームで共通点を見つけ出しながらキャッチコピーを作ってもらいました。

 

これがなかなか難しく、頭を抱えてしまうことも。

 

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そして、作ったキャッチコピーを元に、ロゴを作っていきます。

ロゴとは、企業やプロジェクトなどの象徴となるもの。

簡単な図形のなかにも、それぞれ背景や理念・信念が込められているものです。

なので、いかに言語化していくかが重要です。

 

今回は、キャッチコピーをもとにチームで話し合いながら言葉の要素を図形化し、ロゴにしていきます。

 

その前に、みなさんのラフスケッチの様子。

 

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このスケッチを清書して、今回はデザイナーである丸井さんがイラストレーターでロゴを仕上げていきます。

 

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出来上がったロゴ。

 

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それぞれのチームの個性がでてますね。

 

 

 

今回のワークショップには、ずっと地元にいる方、進学を機に別の土地に行ったけど戻ってきた方、転勤で今の土地にいる方など、それぞれ「地元」と一口に言っても関わり方が少しずつ違います。

その中で、参加者の方同士で話し合いながら地元の魅力について共有し、言葉にする中で見えてきたそれぞれの「地元」があるのではないでしょうか。

 

 

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と、まじめに記事を書いてきましたが、この企画を082タイムズ舎さんと丸井さんに繋げたものの、私はあまり地元が好きではありません。

四国の田舎で育った私は、周りを見れば民家以外にあるのは田んぼ!畑!山!というなにもない(コンビニにいくのに車が必要なほど)町や、

田舎特有の習慣や人間関係も苦手で、進学を機に住み始めた今の町の方が自分には合っているんじゃないか?

とずっと思っていました。

 

でも、離れて気づくこともあるもので。

 

なんにもないと思っていた、なんでもない町の風景がどれだけ貴重か。

不便にばかり目が行きがちだけど、それは不便を楽しむ余裕がなかっただけで。

そしてなにより、流れる時間のスピード感の違いにただただ驚き、帰省するたびに実感するのです。

小さな小さな町にいて閉塞感に押しつぶされそうだったけど、本当はいいところがあったことを。

 

最近ではIターンなどで若者が地方に移住していく話をよく聞きますが、その数よりもきっと、進学や就職を機に地方から都会へ出ていく数のほうが多いのではないでしょうか。

 

地元を離れたからこそ見えてくるもの、

地元にずっといるからこそ見えなくなっているもの、

新しく入ったからこそ見えているもの。

 

どの立場の視点もとても大切で、地方創生だとかそんな大きなことは言えないけど、

その土地にいるひとたちが、自分たちの住む町のことを好きでいれたら。

良さをもっと発信できる場が作れたら。

いいのになって、そんなことを思った3時間でした。

 

このワークショップをまたどこかで、そしてワークの内容を変えてもう一度徳島で、開催できればいいなと思っています。

 

 

 

 

082タイムズ舎

島県小松島市にあるイベントスペース。

ここで出会う人たちと共有し共感し町と共存したい。「人生が楽しくて、やさしくて笑いながら時間を共にする場」として今後もイベントを行っていく。

 

丸井栄二

1990年京都芸術短期大学専攻科課程修了。10年のデザイン事務所勤務を経て、2000年に丸井栄二デザイン室設立。主な経歴として東京TDC賞2011、2012にて入選。「村上春樹書籍表装展」、「アドリアン・フルティガーへのオマージュ展」、「日本・ベルギーレターアーツ展(準グランプリ受賞)」に出展。グラフィックデザイン全般の制作に加え、文字や言葉の可能性を研究、表現している。

http://eijimarui-design.com

 

【イベントレポート】紙の上でデザインを知る1DAYワークショップ

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先日、デザイナーの丸井栄二さんを講師にお迎えし、京都天狼院(元インターン先)でワークショップを開催しました。

 

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このワークショップでは「紙の上でデザインを知る」と題し、紙とハサミを用いながらアナログでデザインを考えていきます。

普段私たちが資料やフリーペーパーなどを作るとき、Illustratorやパワーポイントなどのデジタルの手法を用いることが多いと思います。

だからこそ「イラレとか使えないからデザインできない」と思ってしまいがちなのですが、実はそんなことないんです。

もともとデジタルの手法が無かった時代に文字を切り貼りしていたように、紙の上で文字とその余白の関係をみながら動きをつけていきました。

 

 

・スピードを表すには?

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ビートルズのStrawberry Fields Forever を聞きながら、歌詞で曲を表すには?

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・文字だけでフライヤーを作ってみよう

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はじめは難しいな……という表情をされていた参加者のみなさんも、次第にコツがつかめて楽しそうでした。

最後のフライヤー作りでは、グループを作り何を一番見せたくてこの配置にしたのか? をメンバーにプレゼン。
それぞれのプレゼンを聞きながら「すごーい!」の声とともに拍手が響きます。

 

他の方がどこに注目して制作したかを知ることによって、新たな発見がありますね。

 

最後に、先生からワークショップの意図についてお話ししていただきました。

「今日はワークショップをやりながら、自分自身もとても楽しかったです。みなさんどうでした? きっとみなさん全員が、デザイナーというわけではないと思うんですけど、デザインの面白さっていうのがちょっとわかっていただけたんじゃないかなと思います。僕はもっともっとデザインっていうものを一般の、デザインとは関係のない人たちにも知ってもらいたい。

 

そして、みなさんほとんどスマートフォンiPhoneを持っていて、これが当たり前になっている。でもこれが本当に当たり前かっていうことを感じてもらいたい。これでLINEとかやっていても、本当に伝わっているのか? 本当の言葉は伝わっていないと思うんです。

 

例えば、めちゃくちゃ嬉しく、明日○○に行こうね! と送っても、それに「うん」とか「はい」とか、2文字で伝えると、どんなに心の中でめちゃくちゃ楽しみでも相手は「冷たいな」と感じるかもしれない。そうなると、文字って本当はもっといろんな表現が可能なはずなんだけど、スマホが当たり前になって、ここに搭載されている書体では表現できない。それでなにができたかっていうとスタンプ。だからデザインって本当はいろんなところにある。でもなかなか気づかない。

 

今回は文字のみでの表現だったけど、文字の周りの空間与えるだけで目立ちますよ、とか、動きが感じられますよ、とか。さっきの「はい」でも、紙面の真中に「はい」って置くのか、やや動かした時の「はい」なのか。それだけで同じ「はい」が違って見えるかもしれない。という経験を今回していただきたかったんです」

 

今回のワークショップでは、アナログな手法を用いつつも「デザイン」という手段について参加者の方に感じてもらいました。
普段、資料や自分でフリーペーパーなどを作る際、自分の伝えたい情報をただ載せるだけになってしまうこと、よくあることだと思います。

 

でも本当は、それを読む受け手のことを考えて、それを読んだ時に、見た時にどういう印象を受けてほしいかを考えることが重要なのだなと感じました。そして、そのための手段が「デザイン」なのだと思います。

 

今回のワークショップで参加者の方がデザインをより身近に感じていただければ幸いです。
丸井先生、ありがとうございました。