人生にはラッキーが積み重なっている
#8月31日の夜に
「あなたは運がいい」と言われる。
「一回どん底まで落ちたらいいよ、その時に出会えるものもあるよ」とも言われる。
人によって言い方は違うけど、似たようなことを別の人から言われるとおもしろい。
基本的にネガティブな人間なのでめちゃくちゃクヨクヨしてしまうし、よく泣く。
やりたいことだけやっているように見えるみたいだけど、そんなつもりもなく、脳内で1人反省会をする日々。
京都に来てからの7年、泣くこともたくさんあったけど、でも人に言われるように人に恵まれまくった日々だと思う。
それまでの学生生活は、学校に行けない期間が長く、苦しかった。書いては消し、迷ったけど、何年だったかはまだ打ち明けられない。
この事を知ったリアルの友人、知人は「やっぱりか、だからあんなコミュ力ないのか」って思うのか、
「そうは見えなかった!」と思うのかどっちだろう。
友人に後者の反応をされた時は「よかった」と思った。
7年間頑張った日々は間違っていなかった。
(ふつうに対人関係を築いてるだけなので、頑張ったというのもなんだか変だけど)
毎日ただ、じっと過ぎるのを待っていた日々と比べたら、別の大変さがたくさんあって、今でも時々人との距離感に戸惑うけど、
それでもやっぱり外に出て出会ったたくさんの人たちのおかげでなんとかやってこれた。
大学に入学した時は「学校に行けなかったことは絶対に墓場まで持っていく」
と謎の決意を固めていたのだけど、
今日は、もういいかなと思えた。
8/31。明後日から始業式のところが多いのかな?
辛かったら休んでいいよ。
親は怒るかもしれないけど、大丈夫。
命より大事なものってないから、大丈夫。
軽率な言葉かもしれないけど、今になってそう思う。
外の居場所も一つじゃない。
何歳からでも人生取り返せると思うし、思いたいよね。
"人生にはラッキーが積み重なっている"
全然そんなこたない日々が続くこともあるけど、どこかのタイミングで抜け出せる。
それだけは忘れずにいたい。
大人になると悩まなくなるとかならないとか
大好きなマンガ「モディリアーニにお願い」で、自分の好きなコマをツイッターに投稿すると複製原画もらえるかもキャンペーンをやっている。
自分の好きなコマを探しながら思い出すことがある。
___
最近、将来のことを考えすぎて数日おきに違う考え方になったりする。
でも結局、なんでこんな変な働き方をしてるかっていうと、師匠と一緒に働きたかったからなんだよなあと思い出す。
巻末のおまけマンガで「この人の為にがんばりたい、この人の為に何かしたい と思ってる人の為に何もできないうちにその人とお別れしてしてしまったらどうしよう。これが一番こわいと思っていることです」
と相澤さんは言っていた。
そう、そうなのよ。
就活で何を大切にしたかの話をしたとき、私は「誰と働きたいか」を1番に考えて私のことをよく知ってくださってる方がボスのところ2カ所で働くことにした。
でも
「知り合いがいないところがよかった。だって知り合いにはいつでも会えるから」
とほかの就活生に言われてびっくりしたのを思い出した。
なんでいつでもまた会えると思えるんだろう。
いつでもそこにあると思っている日常は、全然いつでもあるものなんかじゃなくて、何にも代えられない、でもいつだって急に無くなってしまうものかもしれないのに。
そういうことを思い出させるのが「モディリアーニにお願い」なんだよな。
もう一つ、才能があるとかないとか、ものを作り続けること、表現をやめないこと、がこのマンガのテーマのだと思うんだけど、
「つくる人がつくれなくなるのが悲しい」といううじうじした悩みを持っていた時に、周りの大人に歳を取ればそんなことで悩まなくなるよ(大人になればわかることが増えるよ、って意味で)と言ってもらったけど、
この気持ちを思い出せるうちにやっておかなきゃいけないことがある気がする。
置いてきちゃいけない気持ちってきっとあるよね。
人生が二回あればいいのにね、そしたら
働きたい人と働くことを一番大事にする人生
と
やりたいことを一番大事にする人生
両方体験できるのに。
大人になったら悩まなくなるらしいけど、
25はまだ大人じゃなかったらしい。
モディリアーニにお願いの登場人物たちも4年生になって卒制の時期に入った。
どんな卒制つくるのかな。
卒業したその先も見たいなあ。
大人になっても悩みながらつくり続けてほしいなあ。
そして相澤さんにも描く人でい続けてほしいな。
___
「つくるひとがつくりつづけられますように」
これは私の夢であり願いです。
日々は続く
先週、祖父を見送りました。91歳でした。
生前、元気だった頃の祖父は気性が荒くてあまり仲が良いとは言えなくて、母から危篤との知らせを受けた時もいつ実家に帰るか迷った。危篤とはいえしばらく安定した状態を保てる人もいる。寿命は誰にもわからない。
だから帰るの、もう少し先でいいか、と思っていた矢先だった。
もう明日の朝が山みたいですと入った母のLINEを見て、なぜか涙が出た。
帰るか迷っている、と相談した人にそのことを伝えると、血の繋がりってそういうものだよ、と言われた。そうなのか。
慌てて帰って、運良く最後の瞬間に立ち会えた。待っててくれたみたいなタイミングだった。
穏やかそうな眠るような顔は別人みたいだなと思った。やっぱり涙が出た。
「仲が良かったの?」と聞かれたりするけど、最期の瞬間を見てしまうと、仲がいいとか悪いとか、どうでもよくなって、
次はもっと仲良くしようねと泣いていた母も、最期の時にずっと手を握っていた祖母も、たぶん忘れられない。
こうして文字にしているだけなのになぜか涙が出てくる。
仲が良かったとか良くなかったとか、もうそういう次元ではなくなってしまっていて、生きとし生けるものすべて生まれた時から死に向かっていて、それだけは誰も避けられなくて、不思議だよなあと思う。
しかも子どもも親もお互いにお互いを選べない。
嫌だなあと思うこともたくさんあったし、お互いにお互いのことが分かり合えない親子な気がするけど、でももしまた次の人生があるなら、また父と母の子どもで、姉と兄の妹でいたい。祖父母も。
でも死ぬのは怖いし、両親や兄弟をいつか見送るのも怖い。もっともっと先であってほしい。
実家にいた5日間が夢なのかなと思えたし、実家にいる間は京都の日々が夢なのかなと思った。
少しずつまた日常に戻る。
そして、戻してくれる人がいることがありがたかった。
いつまでも明日があると思っちゃいけないけど、会いたい人に会える日々が日常であることがどうか長く続きますように。
夢のつぎの夢
夢がひとつ叶いました。
来年以降、ずっと一緒に働きたかったひとのところで働けそうです。
学部生のころにも「一緒に働きたいです〜」と言っては「いやいや、まだまだ」と言われていたので変な感じです。
話がまとまるまでに紆余曲折ありすぎて、夢だったらどうしようとか、空耳だったらどうしようとかちらっと思いつつ。
まあ2年以上ずっと思っていたことだったので、ほんとうによかったです。
いちおう、3月から就活をしていたものの、先日の関西で起きた地震がきっかけで
「働きたいと思っている人といつでも働けると思ってはいけない」
「会いたいと思っているひとといつでも会えると思ってはいけない」
「行きたいと思っている場所にいつでも行けると思ってはいけない」
と思うようになりました。
おおげさかもしれませんが、本当に初めて「死ぬかもしれないと」思った数日でした。
「いつか」と言っていたら、いつかが永遠になるかもしれない。
もともと大手志向も安定した仕事につきたいという希望もなかったので、働きたいと思えるひとのもとで働くことを第一に考えました。
知り合って何年も経つけど、それでも一緒に働きたいと思える人に出会えてとてもよかったと思います。
デザイナー兼営業?になるのか?
働き方自体もおもしろいことになりそうで、来年以降も週2くらいで雇ってもらえるところを探しています。
よいバイトがあればぜひ。
私にはつぎの夢があります。
・友達や、いいなと思った作家さんの作品を躊躇せずに買えるくらいに稼げるようになること
・お世話になった人に仕事を発注できるようになること
・友達も師匠も、いいなと思った作家さんとかクリエイターさんとかみんなもっと遠くに連れて行けるようになること
・ずっとアートやデザインのそばにいること
こんなことばっかり言ってると逆に友達を無くしそうな気がするけど、相変わらずジャニーズWESTの重岡くんが一推しの普通の学生です。
これからもよろしくお願いします◯
あ、あと、事務所へのデザインのお仕事お待ちしておりますーー!!!
私の一億倍デザインできる師匠がデザインやってくれますので!ぜひぜひ。
いまがいちばん
友達から「誕生日祝うからケーキ食べよう」というLINEが届いて、そういえばもうすぐ誕生日だったことを思い出し、スケジュールアプリを開けば翌日だったことにびっくりした。(しかも数十分後とか)
今月が誕生日なのも、29日なのも覚えてたよ。
でも昨日が28日だという実感がなかったのよ。やばいね。
24歳って、もっと大人だと思っていた。
子どもの頃の24歳は、すでに働いていて、パン屋さんだとか幼稚園の先生だとか、はっきりした夢を叶えた先の人生を歩んでいるのだとばっかり思っていた。
でも現実はまだまだ中身は子どもだし、子どもの頃の人生設計にはなかった大学院進学によって、まだ学生のままだ。
卑屈でネガティブで、商店街を歩くときは同級生と目が合わないようにずっと下を向いて歩いて、図書館と本屋に入り浸り、お小遣いのほとんどを本の購入に費やしていた(今もそんな変わらんけど)頃の自分が今のわたしを見たらどう思うだろう。
たぶん、ベースのネクラさは生まれ持ったものなので変わることはこの先もないんだと思うけど、
できるようになったこと、
周りの素敵な人たちとの思い出、
とにかくまあ、毎年いまがいちばんだと思いながら過ごした5年ちょいだった。
思い入れのある出来事とか、熱く話せる出来事とか、そりゃああるけどでもやっぱりいまがいちばんだと思っている。
戻りたいと思うような幸せな日々も、過去を含めて今の自分だから。
後悔した出来事は、パラレルワールドのわたしがなんとかしてくれていることでしょう!笑
なんてキレイに書いているけど、
才能ないなって泣くことも
自分のアホさ加減にガッカリすることも
気を使いすぎて嫌われてないか心配になることも
夢の続きは夢を叶えたやつしか見れないんだって実感してモヤモヤすることも
そりゃあるけど、
毎日まいにち、いいこともわるいことも、うれしいこともむかつくことも、
まあそりゃ色々あるけど、
でもいまがいちばんと思える生活が送れることはとても幸せなことだよなって思うわけです。
過去に生きてるわけじゃないから。
来年度以降どうなるかわからんけど、
また来年もいまがいちばんと思えるような生活が送れますように。
夢の続き
進路を考えないといけない時期なので、夢だとかやりたいことだとか無駄に色々考えてしまう。
就活サイトを見ながら、「ここに自分の未来がある」とも思えず、
忙しい毎日に言い訳して、就活生らしいことを何もしていない。
夢、夢なあ、、と思っていたら、昔Facebookに、「夢が叶った」と書いたことがあったのを、思い出した。
そんな大したことじゃなくて、
とある授業のティーチングアシスタントを、師匠の元でできたこと。
それが4年?くらい前の自分にとっては夢だった。
3年前。今のインターン先を見つけ、インターンを募集していたのにもかかわらず、「自分じゃ無理」と思って応募すらしなかった。
今、その時の憧れの職場で、インターンとして勉強させてもらっている。
企画書の書き方も、職種を横断しての協働作業も、見ているだけでおもしろいし、時々「役になったかも?」と思えることがあるととても嬉しい。
はて。そういえば夢が叶っているぞ、という気になってきた。
高校に入学するまで、幼稚園か小学校の先生になりたかった。
そのために勉強して、本当はそういう学校に受かっていた。
でも、なぜか今通っている大学に行きたい!行かなきゃ!という気持ちになって
確かうちの大学の、その年度で最後の試験を受けて合格。
しばらくはこどもとは関係のない学科で勉強していた。
それが、今年度の研究計画にはこどもたちが関わる。
これもなんだか回り回って戻ってきたな、というイメージ。
夢って、こんな感じなのかな。
夢もないしなあという私に、師匠が言った、
「子どもっぽいと思うかもやけど、イベントに来てくれた人を幸せにしたいとかさ、そんなんでもいいんやで」という言葉でなんとなく浮かぶ、夢のようなものがある。
ずっとアートやデザインの間でウロウロしたい。
私は表現者じゃない。
その才能はない。
だからつくる人全てがすごいなあと尊敬する人で、羨ましい人で、
それをサポートするような、そんなことをしたい。
私にとってのデザインはそういうもの。
ぽやぽやとそんなことを考えていたら、いきたい会社、やっと見つけた。
受かるかわかんないけど、そういう場所を見つけただけでなんだか嬉しい。
ま、師匠と一緒に働きたいけどね、って気持ちも全くないわけではないんだけど。
それもいつか叶うかも、ね。
と思う。
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「きみが何をやりたいのか結局よくわからないから、どの仕事を振っていいかイマイチよくわからない」
とは先日面接に行った事務所の方に言われた言葉。
いやいやいや、2時間くらいずっと話ししてたやん!
とは言えず「○○ですね〜」
と答えると「でもそれって儲からないよね」と言われ、それ以上なにも言えなかった。
日付が変わって昨日、大学院の副担当の先生に今後の研究計画書を読んでもらった。(師匠が副担当になったのです)
先週も読んでもらったのだけど、あまりに曖昧すぎて「あとは何がやりたいのか、やな」
と言われた。
やりたいこと。
そう言われるとイマイチよくわからなくなってきた。
お金になること。
続くこと。
自分でできること。
誰かにお願いしても成し遂げたいこと。
すきなこと。
残念ながら私のすきなこととできることはイコールではない。
いつまでたってもその気持ちが抜けない。
できることを仕事にしたら、自分はその仕事、ちゃんとできるんだろうなあとなんとなく思う。過信かもしれないけど。
研究計画書を読んでもらったあと、就活の話になった。
すきなことを仕事にできると思えないし、(だからその周辺の「できること」で仕事を探そうとしている)フリーで働きたいという欲もなけれぼ特に夢もないです。
という文字に起こせばだいぶネガティブなことを言ってしまった。
師匠、私が入りたい会社を4年生の時に言ったことを覚えていて、
そこに入りたいならそこに繋がるステップ踏まなきゃね。そのための就活やと思うで。と。
行きたいところにいくためのステップで入った先にその仕事が楽しくてそっちの仕事を続ける、でもいいと思うけど、行きたいところをただ眺めてても先には行けないよ、という感じの話だった。
ちなみにその行きたかったところは、少し前に起こったプチ炎上で本当に行きたいところかどうかわからなくなってしまった。
そのことも伝えると、「そういうところがあなたにはあるよね。1か0じゃなくて、そういうところもあるって思えないと」
と言われた。
自分でもわかっている。あ、この人無理だな、と思うと0になってしまう。
でも人間はいいところわるいところ、ごちゃ混ぜでその時その時によってグレーの幅が異なっているものだ。
自分だって他人から見たらきっとそうなのに。
それができないうちは社会に出てからきっと辛いんだらうな、と思う。
どういうところで働きたいのか、という話になった時に「嫌な人がいないところ」と答えたら、
「そんなところあるか!」って。
社会にいい人なんてそうそういないよって。
だからこそきっと、そんな中でもちゃんと働いていけるのが大人なんだろうな。
いい人にも理想の大人にもなれる気しないけど、働きたい人と働ける未来は作りたいなあ。
【追記】
夢もないしなあという私に、
「子どもっぽいと思うかもやけど、イベントに来てくれた人を幸せにしたいとかさ、そんなんでもいいんやで」と言われた。
なんのために、誰のためにを見失わないように、見つけたいな。